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ひとのくに
人の国
豊島 与志雄
Read 人の国 (ひとのくに) by 豊島 与志雄 (とよしまよしお) in Japanese with furigana. JLPT N2. Tap a word for the meaning.
N2 · advanced · modern kanji and kana · 7,761 characters · 16 screens
久保田さんは、六十歳で某大学教授の職を辞して以来、いつしか夜分に仕事をする習慣がついてしまった。夜分に仕事をするのは、必ずしも盗人や小説家のみに限ったことではない。久保田さんが従事していた仕事は、人類理想史という尨大な著述で、天上の神話的楽園から地上の無政府的共産主義の理想郷に至るまで、人間の各種の理想を歴史的に叙述することであった。そのために久保田さんは、毎晩遅くまで書斎に籠って勉強した。のみならず、終日書斎に起臥して、滅多に外出することもなかった。
そういう生活が一年ばかり続いて、この二月のはじめ頃から、久保田さんは急に元気が衰え、顔色が悪くなり、食慾が甚しく減じてきた。家族の者達がひどく心配するので、久保田さん自身も多少気に懸って、友人の老医学士へ相談してみた。
「なあに心配するほどのことはないよ。」と老医学士は口元に微笑を浮べ、平ったい指先で煙草の灰をはたきながら云った。「余り家にばかり蟄居しているから、機能の働きが鈍ってきたのさ。人間にもやはり植物と同様に、空気と日光とが必要なんだ。少し外に出てみ給え、すぐに元気回復するよ。まあ何だね、若い綺麗な女にでも接するのは最も有効だが、君にはそういう直接療法も出来まいから、一つ間接療法として、天気のいい日郊外散歩に出かけたり、それから何よりも、夜更しを