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めいじんじごく

名人地獄

国枝 史郎

Read 名人地獄 (めいじんじごく) by 国枝 史郎 (くにえだしろう) in Japanese with furigana. JLPT N2. Tap a word for the meaning.

N2 · advanced · modern kanji and kana · 149,286 characters · 301 screens

Aozora Bunko

知らぬ甚三は唄って行った。今はひとのために唄うのではない。自分の声に自分が惚れ、自分のために唄うのであった。

追分油屋掛け行燈に

浮気ご免と書いちゃない

甚内はキラリと刀を抜いた。

浅間山さんなぜやけしゃんす

腰に三宿持ちながら

甚内は刀を振りかぶった。

北山時雨で越後は雨か

あの雨やまなきゃ会われない

甚内はさっと甚三の、右の肩へ切りつけた。「わっ」と魂消える声と共に、甚三は右手へよろめいたが、そのままドタリと転がった時、甚内は馬から飛び下りた。止どめの一刀を刺そうとした。

「まあ待ってくれ、富士甚内! 汝アおれを殺す気だな!」

「唄の上手が身の不祥、気の毒ながら助けては置けぬ」

「さてはお北も同腹だな!」

「どうとも思え、うぬが勝手だ」

「弟ヤーイ!」と甚三は、致死期の声を振り絞った。「われの言葉、あたったぞヤーイ! おれはお北に殺されるぞヤーイ!」

よろぼいよろぼい立ち上がるのを、ドンと甚内は蹴り仆した。とその足へしがみ付いた。

のたうち廻る馬方を、甚内は足で踏み敷いたが、おりから人の足音が、背後の方から聞こえて来たので、ハッとばかりに振り返った。二人の武士が走って来た。