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ぼんのうひぶんしょ
煩悩秘文書
林 不忘
Read 煩悩秘文書 (ぼんのうひぶんしょ) by 林 不忘 (はやしふぼう) in Japanese with furigana. JLPT N2. Tap a word for the meaning.
N2 · advanced · modern kanji and kana · 86,705 characters · 173 screens
「これは旦那、お帰んなさいまし――あの、由さんは。」
「うむ。由公か。ちょっと用達しがあってな、ほかへ廻った。」
言いながら、裾をはたいて上った佐吉は、大股に帳場を通り抜けて、二枚暖簾をうるさそうに頭で押し分け、奥の居間へはいっていく。
無言である。いつも口の重い文珠屋佐吉なのだが、きょうは何か心配ごとでもあるらしい顔つきなので、長く店にいて主人の気質も、何もかも知りぬいている与助は、おずおずあとにつづいて、
「何かございましたので――お出先にでも。」
「あったとも、大ありだ。」
佐吉は、どしんと縁側を踏んで、白壁の土蔵につづいた六畳の茶の間へ。
茶の間とは言っても、女房はおろか、家じゅうに女中ひとりいないのだから、茶の間らしい寛いだ、意気な空気はすこしもなく、茶だんすに長火鉢、それも秋口なので、火は入れてない。それだけ。
いたって殺風景なこしらえ。
すぐ眼の前が中庭で、まがりくねった赤松が一本、落ちかけた陽に、うすい影を畳に這わせている。
文珠屋佐吉は、長火鉢のまえの座蒲団へ、どっかりと坐り、
「弱気になった――。」
と出しぬけに言って、与助の顔を見て笑った。