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いりえのほとり
入江のほとり
正宗 白鳥
Read 入江のほとり (いりえのほとり) by 正宗 白鳥 (まさむねはくちょう) in Japanese with furigana. JLPT N2. Tap a word for the meaning.
N2 · advanced · modern kanji and kana · 25,430 characters · 50 screens
すると心が弛んで、われ知らず机に頭を垂れて仮寝をしだした。
やがて、夢の中の物音に驚いてふと目を醒ますと、ランプは机の向うへ押落されて、火は障子に燃移っていた。……辰男は気抜けがしたような顔をして突立ちながら、声も立てず、すぐには手出しもしなかった。……外では風がザワザワ音を立てている。畳は石油に浸って青い焔を吐いている。……「この家は焼ける」と思うとともに、灰燼になった屋敷跡が彼れの心に浮んだ。
やがて、彼れは両手に力を入れて、何年も動かしたことのないテーブルを書物の載っているまま、次の室へ移した。そして、座蒲団を丸めて、火を叩消そうとしているところへ、階子段にけたたましい足音がした。
「火事だ……」と、栄一の慌てた叫声が階下にいる人々の耳を劈いた。外を通っていた者をも驚かした。
大勢がどやどや駈寄って、口々に荒い言葉で指図し合って、燃えついている障子を屋根から外へ抛りだしたり、バケツや手桶で水甕の水を掬ってきたりした。父の目も血走った。妹も息を切らして素足で井戸端へ駈けた。皆なが騒ぎだすと、辰男は後退りをして薄暗い処に突立っていた。石油が燃えつきるとともに火の手はみるみる衰えたが、彼れのテーブルも書物もずぶ濡れになってしまった。