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よるのくつ
夜の靴
横光 利一
Read 夜の靴 (よるのくつ) by 横光 利一 (よこみつりいち) in Japanese with furigana. JLPT N2. Tap a word for the meaning.
N2 · advanced · modern kanji and kana · 107,056 characters · 213 screens
八月――日
駈けて来る足駄の音が庭石に躓いて一度よろけた。すると、柿の木の下へ顕れた義弟が真っ赤な顔で、「休戦休戦。」という。借り物らしい足駄でまたそこで躓いた。躓きながら、「ポツダム宣言全部承認。」という。
「ほんとかな。」
「ほんと。今ラヂオがそう云った。」
私はどうと倒れたように片手を畳につき、庭の斜面を見ていた。なだれ下った夏菊の懸崖が焔の色で燃えている。その背後の山が無言のどよめきを上げ、今にも崩れかかって来そうな西日の底で、幾つもの火の丸が狂めき返っている。
「とにかく、こんなときは山へでも行きましょうよ。」
「いや、今日はもう……」
義弟の足駄の音が去っていってから、私は柱に背を凭せかけ膝を組んで庭を見つづけた。敗けた。――いや、見なければ分らない。しかし、何処を見るのだ。この村はむかしの古戦場の跡でそれだけだ。野山に汎濫した西日の総勢が、右往左往によじれあい流れの末を知らぬようだ。
八月――日
柱時計を捲く音、ぱしゃッと水音がする。見ると、池へ垂れ下っている菊の弁を、四五疋の鯉が口をよせ、跳ねあがって喰っている。茎のひょろ長い白い干瓢の花がゆれている。