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だいぼさつとうげ

大菩薩峠

中里 介山

Read 大菩薩峠 (だいぼさつとうげ) by 中里 介山 (なかざとかいざん) in Japanese with furigana. JLPT N2. Tap a word for the meaning.

N2 · advanced · modern kanji and kana · 86,467 characters · 168 screens

Aozora Bunko

常の時でさえ、お銀様はその人のことを想い出でると、涙を流して泣くだけの同情と、贔屓とを持っている。それは誰人ぞ、大谷刑部少輔吉隆その人。歴史上の人物で、お銀様がこのくらい自分を打込む人は、唯一とは言わないまでも、稀れなる例であります。

まして、この時、この場へ来て、夜更けて人静まった時分です。冴えきった眼の前に、朦朧としてその人が現われて来るのは是非もないことです。

十八

お銀様は、今ここで次のような大芝居を見ている。

宏大なる一室に紙帳を釣らせて、その中に敷皮を敷いて、白絹の陣羽織に白金物打った鎧を着て、坐っているのが大谷刑部少輔吉隆である。

紙帳がよく透き通っているから、芝居の土間の二三あたりで見るよりも、はっきりとお銀様は、刑部少輔の科白から表情の一切を見て取ることができる。

かく身体はいかめしく鎧っているのに、頭は法体で、面目が崩れている。お銀様としても、それを、崩れているとよりほかは見ようがありませんでした。眼だけは爛々として輝くものがあるのに、鼻梁は落ち、顔面はただれ、その上に蛆が湧いている。

誰人も、この名将の面影に、その無惨なる天刑(?)の存することをまともに見るには忍びないはずであります。