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きゅうしゅじん
旧主人・芽生
島崎 藤村
Read 旧主人・芽生 (きゅうしゅじん) by 島崎 藤村 (しまざきとうそん) in Japanese with furigana. JLPT N2. Tap a word for the meaning.
N2 · advanced · modern kanji and kana · 149,813 characters · 302 screens
祗園の祭には青簾を懸けては下し、土用の丑の鰻も盆の勘定となって、地獄の釜の蓋の開くかと思えば、直に仏の花も捨て、それに赤痢の流行で芝居の太鼓も廻りません。奥様は外の御歓楽をなさりたいにも、小諸は倹約な質素な処で、お茶の先生は上田へ引越し、謡曲の師匠は飴菓子を売て歩き、見るものも聞くものも鮮いのですから、唯かぎりある御家の内の御歓楽ばかり。思えば飽きもなさる筈です。終には絹手も鼻を拭んで捨て、香水は惜気もなく御紅閨に振掛け、気に入らぬ髪は結立を掻乱して二度も三度も結わせ、夜食好みをなさるようになって、糠味噌の新漬に花鰹をかけさせ、茶漬を召上った後で、「もっと何か甘しい物はないか」と仰るのでした。新酔月の料理も二口三口召上って見て、犬にくれました。女の歓楽ほど短いものはありません。奥様はその歓楽にすら疲れて、飽々となさいました。
「毎日、毎日、同じ事をするのかなア」
というのは、柱に倚れての御独語でした。浮気な歓楽が奥様への置土産は、たったこの一語です。
次第に奥様は短気にも御成なさいました。旦那様は物事が精密過て、何事にもこの御気象が随いて廻るのですから、奥様はもう煩いという御顔色をなさるのでした。