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きゅうしゅじん
旧主人・芽生
島崎 藤村
Read 旧主人・芽生 (きゅうしゅじん) by 島崎 藤村 (しまざきとうそん) in Japanese with furigana. JLPT N2. Tap a word for the meaning.
N2 · advanced · modern kanji and kana · 149,813 characters · 302 screens
もし、外の女が災難で怪我でもして、平沢へ遣らんけりゃ助からない、誰か馬を引いて行ってくれるものは無いか、とでも言おうものなら、それこそ源は真先に飛出して、一肌ぬいで遣りかねない。人が褒めそやすなら源は火の中へでも飛込んで見せる。それだのに悩み萎れた自分の妻を馬に乗せて出掛るとなると、さあ、重荷を負(しょ)ったような苦痛(くるしみ)ばかりしか感じません。もうもう腹立しくもなるのでした。
それ、そういう男です。高慢な心の悲しさには、「自分が悪かった」と思いたくない。死んでも後悔はしたくない。女房の前に首を垂(さげ)て、罪過(あやまち)を謝(わび)るなぞは猶々出来ない。なんとか言訳を探出して、心の中の恐怖(おそれ)を取消したい。と思迷って、何故、お隅を打ったのかそれが自分にも分らなくなる。「痴(たわけ)め」と源は自分で自分を叱って、「成程、打ったのは己が打った、女房の命は亭主の命、女房の身体は亭主の身体だ。己のものを打ったからとて、何の不思議はねえ」弁解(いいほど)いて見る。思乱れてはさまざまです。源の心は明くなったり、暗くなったりしました。
馬は取付く虻(あぶ)を尻尾で払いながら、道を進んでまいりましたが、時々眼を潤ませては、立止りました。