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はる
春
岡本 かの子
Read 春 (はる) by 岡本 かの子 (おかもとかのこ) in Japanese with furigana. JLPT N2. Tap a word for the meaning.
N2 · advanced · modern kanji and kana · 23,864 characters · 48 screens
その時の京子の上気した頬と光る眼、真青な楓の葉ごと枝を握った真白な細い指が、今、加奈子の膝に置かれた京子の指の聯想から、加奈子の眼に浮ぶ。あのようにも怖え、興奮した京子には、後年気違いになる前兆が、まだまだいくらもあった筈だ。
病院の門内に敷き詰めた多摩川砂利が、不揃いな粒と粒との間に、桜の花片をいっぱい噛んでいる。
――何処かに、とても大きな桜の樹があるのよ。ね。
加奈子は、俯向き加減に加奈子の肩に手を掛けて居る京子を元気づかせようとして言った。
――うむ。
京子は黒眼鏡を金輪のように振って四方を見た。桜は病院のうしろの方に在るらしい。四方一帯、春昼の埃臭さのなかに、季節に後れた沈丁花がどんよりと槙の樹の根に咲き匂っている。
古ぼけた玄関。老い呆けた下足爺。履き更えさせられた摺り切れ草履。薄暗い応接間。この古ぼけた埃臭さが、精神病患者と何の関係を持つべきものなのかと、加奈子は誰かに訊き度いくらいに不愉快だった。疲れ切った椅子テーブル、破れた衛生雑誌が卓上に散ばっており、精神修養の古本が一冊、白昼の儚い夢のように、しらじらしく載っている。
――いやな病院!