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ぼくとうきだん
濹東綺譚
永井 荷風
Read 濹東綺譚 (ぼくとうきだん) by 永井 荷風 (ながいかふう) in Japanese with furigana. JLPT N2. Tap a word for the meaning.
N2 · advanced · modern kanji and kana · 57,666 characters · 114 screens
最初黒沢商店の角で五拾銭銀貨を恵んだのが却て悪い例となり、恵まれぬ時は悪声を放つので、人だかりのするのが厭さにまた五拾銭やるようになってしまう。此男に酒手の無心をされるのはわたくしばかりではあるまいと思って、或晩欺いて四辻の派出所へ連れて行くと、立番の巡査とはとうに馴染になっていて、巡査は面倒臭さに取り合ってくれる様子をも見せなかった。出雲町……イヤ七丁目の交番でも、或日巡査と笑いながら話をしているのを見た。巡査の眼にはわたくしなどより此男の方が却て素姓が知れているのかも知れない。
わたくしは散策の方面を隅田河の東に替え、溝際の家に住んでいるお雪という女をたずねて憩むことにした。
四五日つづけて同じ道を往復すると、麻布からの遠道も初めに比べると、だんだん苦にならないようになる。京橋と雷門との乗替も、習慣になると意識よりも身体の方が先に動いてくれるので、さほど煩しいとも思わないようになる。乗客の雑沓する時間や線路が、日によって違うことも明になるので、之を避けさえすれば、遠道だけにゆっくり本を読みながら行くことも出来るようになる。
電車の内での読書は、大正九年の頃老眼鏡を掛けるようになってから全く廃せられていたが、雷門までの遠道を往復するようになって再び之を行うことにした。