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しんのゆうしゅう
秦の憂愁
豊島 与志雄
Read 秦の憂愁 (しんのゆうしゅう) by 豊島 与志雄 (とよしまよしお) in Japanese with furigana. JLPT N2. Tap a word for the meaning.
N2 · advanced · modern kanji and kana · 9,389 characters · 19 screens
「電話でもかけてみなくてよいのか。」と私は注意した。
「いや、たいていホテルにいる筈だ。」
その答は意外だった。彼は星野の動静を探り知っていたのかも知れない。私は彼の顔を眺めた。彼は眼を挙げた。
「君も、今夜つきあってくれるだろうね。」
私は微笑して答えた。
「いや、外に用事があるし、まあ、君達だけの方がいいだろう。」
彼は私を見て、かすかに微笑した。
これは私と彼との間の暗黙の了解事項だが、私達が非常に親しくなったことについては、当分のうち他に知られたくない事情があった。この事柄も別な物語でなければ述べられない。
そこで、私は暫くして立ち去ったのである。
星野武夫が張浩に案内されて来た時、秦啓源は一人ぽつんとしていた。そこは二階の広間で、幾つもの大きな卓が並んでいて、客は入れ混みになっている。秦は窓際の隅の卓にいた。
星野はつかつかと歩み寄っていった。
「やあ、しばらく。ずいぶん探しまわっていたんですよ。逢えてよかった。」
秦は立ち上って、笑顔で、黙って右手を差し出した。それから、席について、ケースの煙草をすすめた。張がマッチの火をすった。
以前通りの秦だった。