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おうまのとき
逢魔の刻
豊島 与志雄
Read 逢魔の刻 (おうまのとき) by 豊島 与志雄 (とよしまよしお) in Japanese with furigana. JLPT N2. Tap a word for the meaning.
N2 · advanced · modern kanji and kana · 1,898 characters · 4 screens
金が無くなれば、親分を頼っていって、働かして貰う。マラリアが恐いので台湾には渡らなかったが、朝鮮にはだいぶ居た事があるし、其他、南は鹿児島から北は北海道の果まで、各地を渡り歩いてるのだった。
ところで、こんど暫く草津の湯にはいってから、小諸に仕事を求めるために、鋸をかついで街道を歩いてきた。朝のことだ。上天気だ。六里ヶ原にさしかかると、早くも秋草が咲いている。牧場の牛が群れている。浅間山の煙が真直に立っている。いい景色だ、と思うと、我知らず心が澄んで、路傍の叢に、かすかに虫の鳴く声がするようだ……。
その時、ぽかっと、青空の下日の照る中に、数十年間の放浪の生活が――というより、そうした現在の自分自身が、無際限な時と場所とのまんなかに、小さな一点となって浮んできた。
幻は瞬間に消えたが、彼は眼を瞬き、煙草を吸った。「一体何になるんだ。稼いで、食って、生きて……あああ。」日がかっと照ってるだけに恐ろしかった。花が咲き、虫が鳴き、牛が草食い、浅間の煙が悠長に立ち昇ってるだけに、なお恐ろしかった。
彼は打ちのめされたような気持になって、肩の鋸も重く、首垂れて歩いた。