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なるとひちょう

鳴門秘帖

吉川 英治

Read 鳴門秘帖 (なるとひちょう) by 吉川 英治 (よしかわえいじ) in Japanese with furigana. JLPT N2. Tap a word for the meaning.

N2 · advanced · modern kanji and kana · 56,957 characters · 114 screens

Aozora Bunko

で、何をするのかと思うと、この間、太股へうけた一本の小柄を細工刀として、斑竹の細い尖を切り落し、鹿皮のワキ毛をむしって、一本の細筆を作ったのである。

さて、筆はできたが、墨汁を何から得よう。

かれはまた、草木の中を歩いて、紫、藍、紅、さまざまな花をもんで試みたが、どれも日光にあえば色を失うのみか、筆にかかる粘力がない。

その中でも、割合に色素のありそうな、ぎらん草の花を選んで洞へ帰った。そして紫色の汁を絞り、指を噛んで、自分の血汐をタラタラとそれへ注ぎまぜた。

岩を机とし、獣油を灯し、かれは、さながら大蔵経を写しにかかる行者のごとく、端然と洞穴にこもって、自分の血とぎらん草の汁へ筆をぬらしはじめた。

そして、竹屋三位が鳴門水陣の線を引きかけてある、あの折帖の余白へ、きわめて細い字で、ポトリと五、六字書いた。

書けた文字をジッとみつめていると、血と紫花の汁がうまく混和して、墨よりも強い、玉虫色の光沢をおびてくる。

「これでいい」

と、世阿弥は額を抑えた。

遅々とした筆が運ばれだす。

灯がつきれば獣油を足し、筆が渇けば指の血を絞って……。

だが、筆にふくませる血液も、やがて、指からはしたたらなくなって、かれは、五体のいたる所を小柄で破った。