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みなかみきこう
みなかみ紀行
若山 牧水
Read みなかみ紀行 (みなかみきこう) by 若山 牧水 (わかやまぼくすい) in Japanese with furigana. JLPT N2. Tap a word for the meaning.
N2 · advanced · modern kanji and kana · 102,087 characters · 203 screens
島全帯が濃い墨色に浮んでいるので、このかすかな火山の煙がよく眼立つのであった。
「明日は雨だよ」
と若い馬車屋は云う。斯う島が近く明かに見えると必ず降るのだそうだ。
また長い長い坂を降りる処があった。右手下、海に近い処に遥かに電燈らしい灯の集りが見下された。河津の谷津温泉だという。少し行くと更らに前方に一団の灯影が見えて来た。それが今夜泊ろうとしている湯が野温泉であるのであった。
とっぷりと暮れてその渓間の小さな温泉へ着いた。若者に厚く礼を云って別れ、その別懇だという宿屋へ寄って、やれやれと腰を伸した。荷馬車に乗ったのは生れて初めての事であったが、併しそれに出会わないとすると案外に山深い街道の独り夜道となる処であった。
困ったことに私の通された部屋の真下が共同湯の浴場となっていた。多分先刻の若者なども毎晩此家に入浴に来る処から此家と親しくしているのであろうが、その喧騒と来たら実に烈しいものであった。しかも夜の更けるに従って温泉の匂いとも人間の垢の匂いともつかぬ不快な臭気がその騒ぎと共に畳を通して匂って来て愈々眠り難いものとなった。止むなく私は出立の時東京駅の売店で買って来た西洋石鹸の香気の高いのを思い出してそれを枕の上に置き、やがて鼻の下に塗り込む様にして臭気を防いだ。