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ボロやのしゅんじゅう
ボロ家の春秋
梅崎 春生
Read ボロ家の春秋 (ボロやのしゅんじゅう) by 梅崎 春生 (うめざきはるお) in Japanese with furigana. JLPT N2. Tap a word for the meaning.
N2 · advanced · modern kanji and kana · 129,411 characters · 263 screens
ものを眺めても、ただ眺めているだけで、それに働きかける意欲が全然起らない。げんに今だってそうだ。復員のとき持って帰った古靴だが、もう穿けないという程のものではない。盗られて惜しいと思うのではないが、あれば充分役に立つ靴なのだ。あのぶち犬がくわえてゆくのを、ありありと見ていながら、しかも立ち上って取戻す気持になれないのは、どうしてだろう? 犬の姿が全く消えてしまうと、彼はふといつものに似た生理的不安におそわれた。その不安は、漠然と、確実に、執拗に、彼の上にかぶさってきた。
塀の外に、俄風が吹き起っている。
この妙な状態は、何時の頃からか。昨日今日のことではない。身体の機能の狂いを自覚したのは、一週間ほど前、いや十日位になるだろう。食慾がしだいに減退し、身体をうごかすのが大儀となり、何をするのもいやになってきた。ねじを巻き忘れた柱時計の振子が、いつのまにか止ってしまうように、情緒までがだんだん振幅をせばめて、反応を失い始めてきたようだ。現象に呼応して、感じ揺れるものがない。食慾の減退からみると、消化器系の障害もあるらしいが、風邪をひいている気配もたしかにある。