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いちのくらさわ

一の倉沢

久生 十蘭

Read 一の倉沢 (いちのくらさわ) by 久生 十蘭 (ひさおじゅうらん) in Japanese with furigana. JLPT N2. Tap a word for the meaning.

N2 · advanced · modern kanji and kana · 6,237 characters · 13 screens

Aozora Bunko

マチガ沢の上部、国境稜線に近いあたりに、ぼんやりと霧が立ち迷っている。前後の状況から判断して、安一郎と大須賀は、霧がかかっているあたりの岩溝にでも落ちこんで、そこで安らかに眠っているのらしい。

大須賀の救援隊は、第一ルンゼ、第二ルンゼ、中央壁、Dルンゼと四つのパアテーにわかれ、ヤッホー、ヨッホー、イヤホーと声をかけあいながら、削ぎ立った一枚岩や岩石の多いガレ沢を、尾根のほうへ虫がうごめくように這いのぼっている。

菱苅は、冷えこまないように腰にスウェターを二重に巻きつけ、サブ・ザックを尻に敷き、首を休めるためにときどきうつむいては、漫然とながめあげていた。

「山で死ぬって、みじめなものなのね」

初枝がつぶやくようにいった。

「みじめかね……だが、死んだものはなにも考えはしないよ」

「兄さんのことじゃないの。そうしているパパが、みじめだというのよ」

「お前も、とうとうパパをバカにしだしたな」

「パパ、悲しいの」

「いまは悲しくはない……あとでどうなるか知らないが」

「山の家へ帰りましょう。こんなことをしていると、いよいよみじめになるだけだわ」

菱苅は双眼鏡をとりあげ、二ルンゼと三ルンゼに挾まれた、中央壁をやっている大須賀のパアテーにプリズムをむけた。