Japanese reading practice

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せんきゅうひゃくさんじゅうにねんのはる

一九三二年の春

宮本 百合子

Read 一九三二年の春 (せんきゅうひゃくさんじゅうにねんのはる) by 宮本 百合子 (みやもとゆりこ) in Japanese with furigana. JLPT N2. Tap a word for the meaning.

N2 · advanced · modern kanji and kana · 21,942 characters · 44 screens

Aozora Bunko

わたしのところからは見えないが、看守は保護室の真前のところをぶらついているらしく、

「……だから行けよ、戸をあけて」

と太い低い声でいっている。四畳半の保護室はやはり板敷であるが、戸は木の縦棧が徳川時代の牢のようにはまっているだけで、やせた腕なら棧の間から手先をさし込み、太い差し錠の金具をひっぱり出すことが出来るのである。今もそれをやってみる金具の音がした。

「――駄目だ!」

錠が下してあるのだ。看守はそれを知っていっている。留置場じゅうがそれを聞いている。雨つづきと、板敷へじかに何日も坐りつづけているのと、粗食とで体は冷えこみ、少し寒い日は誰でも小便がひどく近くなる。それを一々看守にたのみ、監房をあけて貰って、小便に行かなければならないのだ。

十分ばかり沈黙の後、今度は別な声で、

「旦那。一つ便所ねがいます」

とやや威勢よくいった。

「…………」

それは黙殺された。

「――ねえ、旦那」

再び元の中年寄の声だ。

「あけてやって下さいよ。洩れちゃいますよ」

「いいからそこへやっちまえよ」

「穢くってそんなことが出来るもんかね。ねえ旦那、お願いします、わたしゃ病気なんですよ」