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てらさかきちえもんのとうぼう
寺坂吉右衛門の逃亡
直木 三十五
Read 寺坂吉右衛門の逃亡 (てらさかきちえもんのとうぼう) by 直木 三十五 (なおきさんじゅうご) in Japanese with furigana. JLPT N2. Tap a word for the meaning.
N2 · advanced · modern kanji and kana · 9,243 characters · 19 screens
若者が、走り出した。
「婆あ、早よせんか」
と、爺が叫んで、雪の中を、走って出てしまった。
(討ったのか――)
吉右衛門は、溜息をして、
(皆殺されてもいいし、吉良を討ってもいいし、そっちはそっち、こっちはこっちだ。士は士、下郎は下郎――)
吉右衛門は、一息に、酒をのんだが、ちっともうまくなくなっていた。
(一寸見に行きたいが――いいや、見付けられでもしたら――)
「お早う御座ります」
と、婆が出てきた。吉右衛門は頷いただけであった。
「爺は何しに出ましたえ」
「さあ」
と、いった時、表の雪の中を、一人、二人――走って行く人々が、見る見る増えてきた。口々に何かいいつつ、眼を前方へ、じっとすえて、一生懸命に走って行った。
「何んぞえな」
と、呟いて、婆が、表へ出た、そして、右を見て
「おやおや、槍の穂が光ってるぞな。貴下、出て見なさらんか? こりゃ、えらいことじゃぞ。貴下」
吉右衛門は、立上って、表へ出た。人はどんどん走っていた。右手を見ると、人垣が、重合っていて、その頭の上、肩の上に、引揚げて行く人々の頭、槍が動いていた。
(随分、残っている。三十人もいるかな――うまく討取ったらしいが――もう、俺には関係のないことだ)