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やまびこおとめ
山彦乙女
山本 周五郎
Read 山彦乙女 (やまびこおとめ) by 山本 周五郎 (やまもとしゅうごろう) in Japanese with furigana. JLPT N2. Tap a word for the meaning.
N2 · advanced · modern kanji and kana · 126,360 characters · 251 screens
もいいから。こう繰り返して云った。
孫七は当時四十五六で、力の強い、快活な、胆の太い男だった。しかしえたいの知れない主人の挙動に、さすがの彼も怯えたようになり、おちおち眠ることもできなくなったそうである。……自分で云ったとおり、兵庫はしきりに家をぬけ出ようとした。そのときは病気の発作が起こったようなぐあいで、全身をがたがた震わし、焦点の狂った眼で宙をねめつけながら、抱き止める孫七に反抗して、恐ろしいほどの力で暴れた。
――あの約束は冗談だ、おまえをからかったのだ、おれは役所へゆくんだから放せ。
そんなふうに云ったり、罵り喚いたり、孫七の腕に噛みついたりした。またべつのときには、とつぜん獣のように呻きだして、――早く止めて呉れ、おれを押えて呉れ。と悲鳴をあげることもあった。
なにか眼に見えない魔物でもいて、妖しい力で彼を招きよせでもするかのような、なんともきみの悪いありさまであり、本当に手足を縛らなければならないようなことも、二度や三度ではなかったということだ。
こんども失踪ちゅうのことはなにも語らなかった。記憶があるのかないのか、役所からなんども人が来たが、その点になると頑強に口をつぐんだ。