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やまびこおとめ
山彦乙女
山本 周五郎
Read 山彦乙女 (やまびこおとめ) by 山本 周五郎 (やまもとしゅうごろう) in Japanese with furigana. JLPT N2. Tap a word for the meaning.
N2 · advanced · modern kanji and kana · 126,360 characters · 251 screens
それはもう記憶が不たしかで、はっきりとかたちを成さない、胸や太腿などは、ひどくあらわに、なまめかしかったように思えるのだが、さてどんなふうであったか、と想像すると、まるでとらえどころがなく、ゆらめく白い霧のように、まとまりがつかなかった。
「これが新しく出来た橋だ」
前の駕から主馬が叫んだ。尾張侯の邸の前を、堀に沿って、東へゆき当ったところである。そこは山村座に近いので、ときどき歩きまわったことがある。たしかにゆき止りであったが、今はがっちりとした、新しい橋が架っていた。
駕は本願寺の門前を、まっすぐに、紀州家の下屋敷へつき当り、そこを左に曲って、築地の河岸へ出た。満潮とみえて、海にはふくれあがるような波があり、沖のほうから、舟が、帆をおろしながら、しきりにのぼって来るのが、見えた。潮の香がつよく匂った。
主馬の声で駕が停った。出ると、草履の下で乾いた貝殻の音がし、咽せるほど海の匂いのする、新鮮な、さわやかな空気が、胸いっぱい、しみとおるように思えた。
「今日は静かだな」
こう呟きながら、主馬は先に立って横丁へ、曲っていった。
河岸に面して、軒の低い、古くて雨風に曝された、小さな家が並び、なかば毀れた舟があげてあったり、干し網が垂れていたりした。