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にほんのみんしゅうと「にほんてきなるもの」
日本の民衆と「日本的なるもの」
戸坂 潤
Read 日本の民衆と「日本的なるもの」 (にほんのみんしゅうと「にほんてきなるもの」) by 戸坂 潤 (とさかじゅん) in Japanese with furigana. JLPT N2. Tap a word for the meaning.
N2 · advanced · modern kanji and kana · 8,821 characters · 18 screens
吾々はその代りにこそ、科学の階級性や何かを論じたのだ。併し矢張り何と云っても、科学に於ては、個人から抽出鍛冶された自我・自己という形の主体は、科学性としては主観的な制限をしか意味しない。自我が本当に認識上の役割を果すのは、文学(芸術)に於てだ。そうすればこの自我は、抽象的な一般物などではあり得ず、又単なる階級主体でさえもあり得ずに、正に階級性によって支えられた自分自身の立場ということでなくてはならぬということになる。――つまり文学の階級性というものが、文学的認識の用具そのものに発しているということだ。こういう自我の感性・官能そのものが階級性を有っているということにもなるのだ。
だがブルジョア文学も亦、自我のこの種の「具体化」ということにこの時すでに気づき始めた。横光利一氏が純文学にして通俗文学である処の純粋小説論を唱えたのも、その論理の説得力は別として、この問題を捉えたものであった。ブルジョア文学の圏内に於てさえ、まだ何等の定式を持てないでいるが、民衆論が起きて来たことが之なのだ。小林秀雄氏が民衆を論じ出したのも之である。
勿論自我の「具体化」は他のものの具体化ではなくて正に自我の具体化に他ならぬのだから、それが民衆という限定を得て来る時は、正に日本の民衆ということである。