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にちりん
日輪・春は馬車に乗って 他八篇
横光 利一
Read 日輪・春は馬車に乗って 他八篇 (にちりん) by 横光 利一 (よこみつりいち) in Japanese with furigana. JLPT N2. Tap a word for the meaning.
N2 · advanced · modern kanji and kana · 86,787 characters · 177 screens
「分りました。」と彼はいった。
「この月いっぱいだろうと思いますが……」
「ええ。」
「私たちは出来るだけのことをやったのですが。……何分……」
「どうも、いろいろ御迷惑をおかけしまして、」
「いや……それから、もし御親戚の方々をお呼びなさいますなら、一時にどっと来られませんように。」
「承知しました。」
「長い間でお疲れでございましょう。」
「いや。」
彼はいつの間にか廊下の真中まで来てひとり立っていた。忘れていた悲しみが、再び強烈な匂のように襲って来た。
彼は妻の病室の方へ歩き出した。
――しかし、これは、事実であろうか。
彼はまた立ち停った。セロのガボットが華やかに日光室から聞えて来た。
――しかし、よし譬え、明かに、事実は妻を死の中へ引き摺り込もうとしているとしても、果して、事実は常に事実であろうか。
――嘘だ。と彼は思った。
彼は、総ての自分の感覚を錯覚だと考えた。一切の現象を仮象だと考えた。
――何故にわれわれは、不幸を不幸と感じなければならないのであろう。
――何故にわれわれは、葬礼を婚礼と感じてはいけないのであろう。
彼はあまりに苦しみ過ぎた。彼はあまりに悪運を引き過ぎた。