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きゅうしゅじん
旧主人・芽生
島崎 藤村
Read 旧主人・芽生 (きゅうしゅじん) by 島崎 藤村 (しまざきとうそん) in Japanese with furigana. JLPT N2. Tap a word for the meaning.
N2 · advanced · modern kanji and kana · 149,813 characters · 302 screens
娘の名ですかい――お隅さん。あの子なら私は大屋で克(よ)く知っていやす。しかも今日、原で不意と逢いやしてね。丸髷(まるまげ)なんかに結ってるもんだで、見違えて了いやしたのさ」
と言われて、源は手を揉んでおりますと、書記は人に話をさせない男でして、
「まあ聞いてくれ給え。こういう訳です。私が今、爰(ここ)へ来る途中、同僚が蒼くなって通るから、君どうしたい、と聞くと、娘のやつが夫婦喧嘩して、足の骨を折った、医者のところへこれから行くんだ、と言って、先生からもう大弱りさ。かわいそうに――よくよく運の悪い子だ」
聞いていた源は急に顔色を変えて、すこし狼狽(うろたえ)て、手に持った猪口の酒を零(こぼ)しました。書記は一向無頓着(むとんじゃく)――何も知らない様子なので、源もすこしは安心したのでした。腹蔵(つつみかくし)のない話が、こうして景気を付けてはいるものの、それはほんの酒の上、心の底は苦しいので、
「先生、足の骨を折られて死んだものがごわしょうか」
と恍(とぼ)け顔に聞いて見る。書記は愚痴を酒の肴(さかな)というような風で、初対面の者にも聞かせずにはいられない男ですから――碌々源の言うことも耳に止めないで、とんちんかんな挨拶(あいさつ)。