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きゅうぶんにほんばし
旧聞日本橋
長谷川 時雨
Read 旧聞日本橋 (きゅうぶんにほんばし) by 長谷川 時雨 (はせがわしぐれ) in Japanese with furigana. JLPT N2. Tap a word for the meaning.
N2 · advanced · modern kanji and kana · 158,045 characters · 322 screens
湯川氏が帰るとこの老妻は、盗人を笑った。
「なんてまあ、狼狽たお客さんなのか。ねえおじいさん。」
「その人は何の用で、何処から来た?」
「それを私が知りますものかね。老父さんが御存じじゃありませんか。」
「私がなんで知るものかね。」
「へえ? それは不思議だ。私はまた、貴夫のお客さまだから、あなたが御存じだと思いましたよ。」
老人は壁を見ていった。
「私の外套がないよ。」
「おやまあ嫌だ、あなたが着てお出になったのに――おじいさん老耄なさった。」
「ばか言え、わしは着てゆかない。」
ふと老父さんは、老妻が丁寧にお辞儀をしている頭のさきを、盗人が、自分の外套をきて出てゆくのを思いうかべた。そして淋しい顔をして、私のところへいつけに来た。
誰かが、不用だといっていたインバネスが、身長の短いおじいさんの、丁度よい外套になりはしたが――
私の父は晩年を佃島の、相生橋畔に小松を多く植えて隠遁した。湯川氏夫妻もおなじ構内に引取られた。七十代の婿と八十代の舅とは、共に矍鑠として潮風に禿頭を黒く染め、朝は早くから夜は手許の暗くなるまで庭仕事を励んだ。二人ともに、何が――と。
一人が嶮しい山谿を駈る呼吸で松の木に登り、桜の幹にまたがって安房上総を眺めると、片っぽは北辰一刀流の構えで、木の根っ子をヤッと割るのである。