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もみノきはのこった
樅ノ木は残った
山本 周五郎
Read 樅ノ木は残った (もみノきはのこった) by 山本 周五郎 (やまもとしゅうごろう) in Japanese with furigana. JLPT N2. Tap a word for the meaning.
N2 · advanced · modern kanji and kana · 145,078 characters · 285 screens
――十左衛門は頭を傾けて、じっと二人の去ってゆくけはいを聞きすましていたが、やがて、杖で地面をさぐりながら、小川のほうへ歩いていった。幅六尺ばかりで、底の見える小さな流れだったが、葦のあいだに流れ灌頂が作ってあった。
細い篠を四本立て、白い晒し木綿が張ってある。行き倒れの死者などがあったとき、供養のために道傍へ作るものであるが、十左衛門はさぐり足で近よると、杖を置いてしゃがみ、手を伸ばして柄杓を取った。そして流れの水を汲んで、その水を晒し木綿の上へそそぎかけながら、初めて嗚咽の声をもらした。
「いまの話しを聞いたか」と十左衛門は口の中で云った、「聞いたな、七十郎、――おまえもおれも、原田どのに昏まされていた、だがよかった、原田どのの本心があのとおりなら、おれが昏まされるぐらいなんでもありはしない、これでいい、おれは死んでも死にきれない気持だったが、これでやっと息がつける、よかった、よかった、七十郎、おまえもこれで成仏できるだろう」
まっ暗になった草原のかなたに、橙色の灯が一つあらわれ、それが揺れながら、ゆっくりとこちらへ近づいて来ると、提灯を持った、二十八九歳になる、逞しい躯つきの侍の姿が、片明りにうかびあがって見えた。