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たまものまえ
玉藻の前
岡本 綺堂
Read 玉藻の前 (たまものまえ) by 岡本 綺堂 (おかもときどう) in Japanese with furigana. JLPT N2. Tap a word for the meaning.
N2 · advanced · modern kanji and kana · 130,703 characters · 261 screens
小さ刀も見えなかった。彼は素足に薄いきたない藁草履をはいていた。
「ほんによい月じゃ」
彼に口をあわせるように答えたのは、彼と同年か一つぐらいも年下かと思われる少女で、この物語の進行をいそぐ必要上、今くわしくその顔かたちなどを説明している余裕がない。ここでは唯、彼女が道連れの少年よりも更に美しく輝いた気高い顔をもっていて、陸奥の信夫摺りのような模様を白く染め出した薄萌黄地の小振袖を着て、やはり素足に藁草履をはいていたというだけを、記すにとどめて置きたい。
少年と少女とは、清水の坂に立って、今夜の月を仰いでいるのであった。京の夜露はもうしっとりと降りてきて、肌の薄い二人は寒そうに小さい肩を擦り合ってあるき出した。今から七百六十年も前の都は、たとい王城の地といっても、今の人たちの想像以上に寂しいものであったらしい。ことにこの戊辰の久安四年には、禁裏に火の災いがあった。談山の鎌足公の木像が自然に裂けて毀れた。夏の間にはおそろしい疫病がはやった。冬に近づくに連れて盗賊が多くなった。さしもに栄えた平安朝時代も、今では末の末の代になって、なんとはなしに世の乱れという怖れが諸人の胸に芽を吹いてきた。