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きくちよしょう
菊千代抄
山本 周五郎
Read 菊千代抄 (きくちよしょう) by 山本 周五郎 (やまもとしゅうごろう) in Japanese with furigana. JLPT N2. Tap a word for the meaning.
N2 · advanced · modern kanji and kana · 36,178 characters · 72 screens
「――でも、あとに弟が生れましたら」
「巻野を継ぐのではない分封するのだ」
世継ぎは必ず生れる、案外はやく生れるかもしれない、貞良は確信ありげにそういった。また分封とは所領の内から適当な高を分けて、それに相当した家来を持って、生涯独立の館主となることだと説明した。
菊千代は父にはなんとも返辞をしなかった。心のなかでは男として生きようと思ったが、からだが明らかに女であるという意識、それもまったく唐突に割込んできた意識のために、将来はとにかく現在のことすら、どう身を処していいか判断がつかなかったのである。……気持がおちついて、平常どおり寝起きをするようになっても、気鬱といって奥からは出なかった。身のまわりのことは松尾にさせ、会うのは樋口次郎兵衛ひとりである。庭も折戸を閉めて、待たちの奥庭へ入ることはもちろん、中庭から覗くことさえ禁じた。
「じいとおまえのほかに、若が女だということを知っているのは誰と誰だ」
ある夜、菊千代はこう松尾にきいた、松尾は考えるまでもなく名を挙げた。父と、亡くなった母と、侍医と、取上げた老女、江戸国許の両家老、そのほかに決して知っている者はないということであった。