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くぎぬきとうきちとりものおぼえがき
釘抜藤吉捕物覚書
林 不忘
Read 釘抜藤吉捕物覚書 (くぎぬきとうきちとりものおぼえがき) by 林 不忘 (はやしふぼう) in Japanese with furigana. JLPT N2. Tap a word for the meaning.
N2 · advanced · modern kanji and kana · 9,874 characters · 20 screens
なんのことはない、裏京橋の一帯が今日日はお茶漬お艶の話で持切りの形であった。
お艶が名高くなるにつけ、いっそう困り出したのが亀島町の近江屋であった。
風に混って粉雪の踊る一月から、鐘に桜花の散る弥生、青葉若葉の皐月も過ぎて鰹の走る梅雨晴れ時、夏に入って夏も老い、九月も今日で十三日という声を聞いては、永いようで短いのが蜉蝣の命と暑さ盛り、戸一重まで秋は湿やかに這い寄っているが、半歳にもあまるこの期間、降っても照っても近江屋の前にお艶の姿を見ない日はなかった。陽もそぼそぼと暮方になると、どこからともなく蹣跚い出てくるお艶は、毎日決まって近江屋の門近く立って、さて、天の成せる音声に習練の枯れを見せて、往きし昔日の節珍しく声高々と唄い出でる。
「うらみ数え日
家蔵とられた
仇敵におうみや
くすりかゆすりか
気ぐすりゃ知らねど
あたきゃ窶れてゆくわいな
あれ、よしこのなんだえ
お茶漬さらさら」
あれ、よしこのなんだえ、お茶漬さらさら――浮いた調子の弾むにつれて、お艶の頬に紅も上れば道行く人の足も停まる、近江屋はじつに気が気でなかった。
「家蔵取られた仇敵におうみや」の近江屋は、権現様と一緒に近江の国から東下して十三代、亀島町に伝わるれっきとした生薬の老舗である。