Japanische Klassiker mit Furigana
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にょぜがもん
如是我聞
Lesen Sie 如是我聞 (にょぜがもん) von Dazai Osamu (太宰 治) auf Japanisch mit Furigana. JLPT N2. Tippen Sie auf ein Wort für die Bedeutung.
N2 · Fortgeschritten · moderne Kanji und Kana · 22.895 Zeichen · 45 Bildschirme
女房の意見に圧倒せられていながら、何かしら、女房にみとめてもらいたい気持、ああ、いやらしい、そんな気持が、作品の何処かに、たとえば、お便所の臭いのように私を、たよりなくさせるのだ。
わびしさ。それは、貴重な心の糧だ。しかし、そのわびしさが、ただ自分の家庭とだけつながっている時には、はたから見て、頗るみにくいものである。
そのみにくさを、自分で所謂「恐縮」して書いているのならば、面白い読物にでもなるであろう。しかし、それを自身が殉教者みたいに、いやに気取って書いていて、その苦しさに襟を正す読者もあるとか聞いて、その馬鹿らしさには、あきれはてるばかりである。
人生とは、(私は確信を以て、それだけは言えるのであるが、苦しい場所である。生れて来たのが不幸の始まりである。)ただ、人と争うことであって、その暇々に、私たちは、何かおいしいものを食べなければいけないのである。
ためになる。
それが何だ。おいしいものを、所謂「ために」ならなくても、味わなければ、何処に私たちの生きている証拠があるのだろう。おいしいものは、味わなければいけない。味うべきである。しかし、いままでの所謂「老大家」