Japanische Klassiker mit Furigana
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しんらん
親鸞
三木 清
Lesen Sie 親鸞 (しんらん) von 三木 清 (みききよし) auf Japanisch mit Furigana. JLPT N2. Tippen Sie auf ein Wort für die Bedeutung.
N2 · Fortgeschritten · moderne Kanji und Kana · 36.550 Zeichen · 73 Bildschirme
その壬申よりわが元仁元年甲申にいたるまで、二千一百八十三歳なり。また賢劫経、仁王経、涅槃経等の説によるに、すでにもて末法にいりて六百八十三歳なり。」仏滅の年については今日においても種々の異説がある。右の年代計算が正確であるか否かは、いま我々にとって重要ではない。正像末史観は親鸞において歴史の単に客観的に見られた時代区分として把握されたのではなく、主体的に把握されたのである。したがって問題は本来どこまでも自己の現在であったのである。現在が問題になることからして我々は過去の歴史がいかにあったかを知ろうとする。しかも現在が真に問題になるのは、何を為すべきかが、したがって未来が問題になってくることによってである。現在の意識は現在が末法であるという意識である。死を現在に自覚し、いかにこれに処すべきかという自覚が人生の全体を自覚する可能性を与えるごとく、現在は末法であるという自覚が歴史の全体を自覚する可能性を与えるのである。
現在が末法の時であるという意識は親鸞にとって正像末三時の教説によって、単に超越的に与えられたものではない。それは彼の時代の歴史の現実そのものの中から生じたものである。