Japanische Klassiker mit Furigana
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かぎやのつじ
鍵屋の辻
直木 三十五
Lesen Sie 鍵屋の辻 (かぎやのつじ) von 直木 三十五 (なおきさんじゅうご) auf Japanisch mit Furigana. JLPT N2. Tippen Sie auf ein Wort für die Bedeutung.
N2 · Fortgeschritten · moderne Kanji und Kana · 12.524 Zeichen · 25 Bildschirme
勿論文芸からでもいいし、女買いからでも入れるし、絵からでもいい。武蔵が絵画も剣も究極は一であると云ったがこの意味である。
又右衛門の師、柳生但馬守(たじまのかみ)宗矩(むねのり)などはこの点に於てその妙境に到達している人である。禅でも心の無を重んじるが剣も心を虚(むなし)くする事を大切としている。無刀流とか無念流とか無想剣とか無を大事にした事は多い。
「打太刀にも、程にも、拍子にも、心を留むれば手前の働き皆脱け候(そうらい)て、人に斬られ可申(もうすべく)候。敵に心を置けぱ敵に心をとられ、我身に心を置けば我身に心をとられ候――是(これ)皆心の留まりて手前の脱け申により可申候」
と沢庵(たくあん)禅師の「不動智」にあるが、無念無想の境にあって敵に応じて無より出、無限に働くのを極意としている。平たくいうと、敵の眼に心を留めると、太刀の方が留守になるし、太刀のみに気を入れていると、脚の構えが抜けるし、一人に心を留めると、背後(うしろ)へ廻った敵に困るし前後へ気を配れば左右が粗になる。というように到底心を何物にかに留めては、留切れないから、こっちが「無」になってしまって対手を見ない事にするのである。