Japanische Klassiker mit Furigana
ja-reading.com
Lesen Sie japanische Klassiker online mit Furigana. Filtern Sie nach JLPT-Niveau, tippen Sie auf ein Wort für die Bedeutung und übersetzen Sie einen Satz.
にほんイデオロギーろん
日本イデオロギー論
戸坂 潤
Lesen Sie 日本イデオロギー論 (にほんイデオロギーろん) von 戸坂 潤 (とさかじゅん) auf Japanisch mit Furigana. JLPT N2. Tippen Sie auf ein Wort für die Bedeutung.
N2 · Fortgeschritten · moderne Kanji und Kana · 263.376 Zeichen · 511 Bildschirme
そうすれば之がギリシアの貴族主義的な知識の依り処となれないことは当然だろう。
併し、常識という言葉(Common sense, Gemeinsinn)そのものが、アリストテレスに於てドクサとは全く系統の違った観念として提唱されている点は、よく知られている。彼の De Anima によれば、一定種類の知覚に対応しては、それを受け取る夫々の感官があるのは云うまでもないことで、眼は色や光や形を、耳は音を、知覚する。だが人間は色や光や形――そうした視覚的なものとなって現われる知覚と、音というような聴覚となって現われる知覚との相違自身をも亦知っている。単に赤が青でない事を知るだけではなく(それならば視覚だけで判る)、赤や青が音の高底とは全く別な系列にぞくすることを事実吾々は知っている。而もこの相違は何と云っても知覚的に知られるのであって、別に知覚以外の又は知覚以上の心的能力によって知られるのではない。そうすると五官が夫々感受する知覚をば、相互に比較出来るような、従って五官に共通した而も五官の外にある何かの共通な感官がなくてはならぬということになる。耳でも眼でも舌でも鼻でも皮膚でもない感官が、そこで想定されざるを得ない。