Japanische Klassiker mit Furigana
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さはしじんごろう
佐橋甚五郎
Lesen Sie 佐橋甚五郎 (さはしじんごろう) von Mori Ōgai (森 鴎外) auf Japanisch mit Furigana. JLPT N2. Tippen Sie auf ein Wort für die Bedeutung.
N2 · Fortgeschritten · moderne Kanji und Kana · 6.308 Zeichen · 13 Bildschirme
後に将軍職を承け継いだ三男長丸(秀忠)はちょうどこの年に生まれ、四男福松丸(忠吉)はその翌年に生まれた。それから中一年置いて、家康が多年目の上の瘤のように思った小山の城が落ちたが、それはもう勝頼の滅びる悲壮劇の序幕であった。
武田の滅びた天正十年ほど、徳川家の運命の秤が乱高下した年はあるまい。明智光秀が不意に起って信長を討ち取る。羽柴秀吉が毛利家と和睦して弔合戦に取って返す。旅中の家康は茶屋四郎次郎の金と本多平八郎の鑓との力をかりて、わずかに免れて岡崎へ帰った。さて軍勢を催促して鳴海まで出ると、秀吉の使が来て、光秀の死を告げた。
家康が武田の旧臣を身方に招き寄せている最中に、小田原の北条新九郎氏直が甲斐の一揆をかたらって攻めて来た。家康は古府まで出張って、八千足らずの勢をもって北条の五万の兵と対陣した。この時佐橋甚五郎は若武者仲間の水野藤十郎勝成といっしょに若御子で働いて手を負った。年の暮れに軍功のあった侍に加増があって、甚五郎もその数に漏れなんだが、藤十郎と甚五郎との二人には賞美のことばがなかった。
天正十一年になって、遠からず小田原へ二女督姫君の輿入れがあるために、浜松の館の忙がしい中で、大阪に遷った羽柴家へ祝いの使が行くことになった。