Japanisch lesen

Japanische Klassiker mit Furigana

ja-reading.com

Lesen Sie japanische Klassiker online mit Furigana. Filtern Sie nach JLPT-Niveau, tippen Sie auf ein Wort für die Bedeutung und übersetzen Sie einen Satz.

かのうせいのぶんがく

夫婦善哉

織田 作之助

Lesen Sie 夫婦善哉 (かのうせいのぶんがく) von 織田 作之助 (おださくのすけ) auf Japanisch mit Furigana. JLPT N2. Tippen Sie auf ein Wort für die Bedeutung.

N2 · Fortgeschritten · moderne Kanji und Kana · 47.834 Zeichen · 94 Bildschirme

Aozora Bunko

「見ようとしないで見ている眼」が「即かず離れず」の手で書いたものが、過不足なき描写だと、教える。これが日本の文学の考え方だ。最高の境地だという定説だ。猫も杓子も定説に従う。亜流はこの描写法を小説作法の約束だと盲信し、他流もまたこれをノスタルジアとしている。頭が上らない。しかし、一体人間を過不足なく描くということが可能だろうか。そのような伝統がもし日本の文学にあると仮定しても、若いジェネレーションが守るべき伝統であろうか。過不足なき描写という約束を、なぜ疑わぬのだろう。いや「過不足なき」というが、果して日本の文学の人間描写にいかなる「過剰」があっただろうか。「即かず離れず」というが、日本の文学はかつて人間に即きすぎたためしがあろうか。心境小説的私小説の過不足なき描写をノスタルジアとしなければならぬくらい、われわれは日本の伝統小説を遠くはなれて近代小説の異境に、さまよいすぎたとでもいうのか。日記や随筆と変らぬ新人の作品が、その素直さを買われて小説として文壇に通用し、豊田正子、野沢富美子、直井潔、「新日本文学者」が推薦する「町工場」の作者などが出現すると、その素人の素直さにノスタルジアを感じて、狼狽してこれを賞讃しなければならぬくらい、日本の文学は不逞なる玄人の眼と手をもって、近代小説の可能性をギリギリまで追いつめ