Japanische Klassiker mit Furigana
ja-reading.com
Lesen Sie japanische Klassiker online mit Furigana. Filtern Sie nach JLPT-Niveau, tippen Sie auf ein Wort für die Bedeutung und übersetzen Sie einen Satz.
にほんせいしんしけんきゅう
日本精神史研究
和辻 哲郎
Lesen Sie 日本精神史研究 (にほんせいしんしけんきゅう) von 和辻 哲郎 (わつじてつろう) auf Japanisch mit Furigana. JLPT N2. Tippen Sie auf ein Wort für die Bedeutung.
N2 · Fortgeschritten · moderne Kanji und Kana · 208.277 Zeichen · 415 Bildschirme
それは仏祖の模倣であり、仏法のためであって、人を救うことを目的とするのでない。しかし仏法のためにもせよ、身命を衆生に施す瞬間には、慈悲心がこの世の彼の生を残るくまなく領略しているのである。すなわち彼は慈悲そのものになり切っているのである。そうしてこの慈悲を、――自己を空しゅうして汝の隣人を愛することを、道元は仏徒に欠くべからざる行と見た。
もとよりこれは親鸞のいわゆる「聖道の慈悲」であろう。いかにこの慈悲が高まるにしても、衆生を「助け遂ぐる」ことはできない。智覚禅師は今世の命を衆生に施した。しかし衆生は彼の施した公金によって助けられたに過ぎぬ。この慈悲の効果を問うとすれば、それはきわめてはかないものである。が、道元はこの効果のゆえに慈悲を説くのではない。慈悲が仏祖の行履だから説くのである。彼はしばしば繰り返して言った、「仏は身肉手足を割きて衆生に施せり」。仏の身肉を貪り食った餓虎は、わずかにその餓えを充たしたに過ぎぬ。一猛獣の一時の餓えを救うために身肉を施すのは効果より言えば微弱である。しかし身命を放擲して野獣の餓えを充たした仏の心情は、無限に深く貴い。