Japanische Klassiker mit Furigana
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こうせんぜんじのことども
禅堂生活
鈴木 大拙
Lesen Sie 禅堂生活 (こうせんぜんじのことども) von 鈴木 大拙 (すずきだいせつ) auf Japanisch mit Furigana. JLPT N2. Tippen Sie auf ein Wort für die Bedeutung.
N2 · Fortgeschritten · moderne Kanji und Kana · 27.634 Zeichen · 57 Bildschirme
女房もあり子供もあり、葷酒はいうに及ばず肉食も勝手にやるようになった今日では、禅僧について居た古来の聯想や歴史を全く棄てて、当世風になるのが、所謂る和光同塵の精神かも知れぬ。併しわしらは今日までも尚禅僧の君等を方外の友人として見たいのである。
中学時代から世話してやった大学の学生がこの頃遊びに来ると、曰く、もう三十以上の人間は今時駄目である、古い頭では何にもならぬと。わしらは三十どころでないのであるから、頭も最も古い方々に属する。そのせいか知らぬが、禅僧などに対する趣味は尤も古臭い。殊に工業主義、器械主義、商売主義のみ横行する今日のような世界に、昔気質の禅僧が一人や二人、出来るなら、日本全国に百人ばかり居てくれたらと思うこと屡である。貧乏寺でも何でも構わぬが、孤貧を守りて金力に屈せぬ坊さんがいると如何にも愉快に感ずる。大臣だとか華族だとかいえば、慇懃を尽くすというような阿附主義でない坊さんがいると如何にも溜飲が下がる。枯淡な生活に安んじて、如何にも古禅僧を憶うというような坊さんに出遇うと、何か知らず有りがたくなる。如何にも消極的ではあろうが、そこに不思議に人を引きつける力がある。