Japanische Klassiker mit Furigana
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さっかくじがせつ
錯覚自我説
辻 潤
Lesen Sie 錯覚自我説 (さっかくじがせつ) von 辻 潤 (つじじゅん) auf Japanisch mit Furigana. JLPT N2. Tippen Sie auf ein Wort für die Bedeutung.
N2 · Fortgeschritten · moderne Kanji und Kana · 3.789 Zeichen · 8 Bildschirme
しかし、必要と不必要とを問わず、人間は形而上的にも思索し得る生物であるのだ。
西洋哲学の講釈や、東洋思想の解説者はなるほど腐る程いるかも知れない。しかし、真に独創的な思想を披瀝し、それを血肉的に体験して、日常生活の上にも、それを生かしている人間はまことに少ない。
単なる思想は概念である。それが如何に唯物的であろうとも畢竟一つの概念である。飢えたる人間にとってはバイブルがなんの役にも立たない如く、マルクスの資本論も同様に役には立たないのである。
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人間が生きる上において哲学や芸術が不必要だというような考えは、生きる上にタバコや酒が不必要だという説と少しもちがいはないのである。必要、不必要を論じて極端に行けば人間が生きていることそのことが不必要であるとさえいえる。われわれはなんのために生きているのか、国家のためか、両親のためか、愛する女のためにか、無産階級解放のためか、芸術のためか、酒のためか、資本家のためか――生きる対象は無数に存在する。しかし、決して自分一人のわがままのためには生きてはならないのである。
私は今、これを古谷栄一君のために書いているのである。