Clásicos japoneses con furigana
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『わがはいはねこである』じょうへん
吾輩は猫である
Lee 吾輩は猫である (『わがはいはねこである』じょうへん) de Natsume Sōseki (夏目 漱石) en japonés con furigana. JLPT N2. Toca una palabra para ver el significado.
N2 · avanzado · kanji y kana modernos · 322.123 caracteres · 643 pantallas
少ない訳さ。あんな作品はあんな個性のある人でなければ読んで面白くないんだから仕方がない。この傾向がだんだん発達して婚姻が不道徳になる時分には芸術も完く滅亡さ。そうだろう君のかいたものは僕にわからなくなる、僕のかいたものは君にわからなくなった日にゃ、君と僕の間には芸術も糞もないじゃないか」
「そりゃそうですけれども私はどうも直覚的にそう思われないんです」
「君が直覚的にそう思われなければ、僕は曲覚的にそう思うまでさ」
「曲覚的かも知れないが」と今度は独仙君が口を出す。「とにかく人間に個性の自由を許せば許すほど御互の間が窮屈になるに相違ないよ。ニーチェが超人なんか担ぎ出すのも全くこの窮屈のやりどころがなくなって仕方なしにあんな哲学に変形したものだね。ちょっと見るとあれがあの男の理想のように見えるが、ありゃ理想じゃない、不平さ。個性の発展した十九世紀にすくんで、隣りの人には心置なく滅多に寝返りも打てないから、大将少しやけになってあんな乱暴をかき散らしたのだね。あれを読むと壮快と云うよりむしろ気の毒になる。あの声は勇猛精進の声じゃない、どうしても怨恨痛憤の音だ。