Clásicos japoneses con furigana
ja-reading.com
Lee clásicos japoneses en línea con furigana. Filtra por nivel JLPT, toca una palabra para ver el significado y traduce una frase.
にほんイデオロギーろん
日本イデオロギー論
戸坂 潤
Lee 日本イデオロギー論 (にほんイデオロギーろん) de 戸坂 潤 (とさかじゅん) en japonés con furigana. JLPT N2. Toca una palabra para ver el significado.
N2 · avanzado · kanji y kana modernos · 263.376 caracteres · 511 pantallas
から云えば何と云っても文書の文献学的解釈が中心的な手続きであることに間違いはないのだから(仮に文献学乃至解釈学が歴史科学の方法にならないまでも)、その点から云えばディルタイの哲学はなお文献学的・解釈学的な本質のものである権利を、或る限界の内では、実際上持っているわけだ。仮にこの哲学を歴史の原則的な記述に他ならぬものと考えて見るなら、それがフィロロギー的であることに何の不思議も一応ないだろう。その哲学の無意味な点は、夫が単にフィロロギッシュだと考えられる処にあるよりも寧ろ、一応当然文献学的であってもよいこの哲学も結局解釈哲学につきているという処にあるのである。この点を除けば、ディルタイの哲学は実に現実的で健全なので、これは却って取りも直さずその文献学的な方法のおかげだとさえ云えるかも知れない。――併し文献学的・解釈学的・哲学は、いやしくも歴史記述という特別な形態を離れる時、その分相応の地盤を失って、一挙にして昇天して了わざるを得ない。W・ハイデッガーの解釈学的現象学は丁度そうしたものに相当する。
ハイデッガーがフッセルルから受け継いだ現象学なるものは、元来が文献学的なものと無縁であったばかりではなく、その反対物でさえあった。