Clásicos japoneses con furigana
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しんらん
親鸞
三木 清
Lee 親鸞 (しんらん) de 三木 清 (みききよし) en japonés con furigana. JLPT N2. Toca una palabra para ver el significado.
N2 · avanzado · kanji y kana modernos · 36.550 caracteres · 73 pantallas
親鸞における人間の問題はどこまでも宗教的人間の問題、宗教的人間の存在の仕方の問題でなければならぬ。懺悔は単なる反省から生ずるものではない。自己の反省から生ずるものは、それが極めて真面目な道徳的反省であっても、後悔というものに過ぎず、後悔と懺悔とは別のものである。〔欄外「後悔はそれぞれの行為、懺悔は全存在にかかわる。」〕後悔はわれの立場においてなされるものであり、後悔する者にはなおわれの力に対する信頼がある。懺悔はかくのごときわれを去るところに成立する。われはわれを去って、絶対的なものに任せきる。そこに発せられる言葉はもはやわれが発するのではない。自己は語る者ではなくてむしろ聞く者である。聞き得るためには己れを空しくしなければならぬ。かくして語られる言葉はまことを得る。およそ懺悔はまことの心の流露であるべきはずである。しかるにまことの心になるということはいかに困難であるか。自己を懺悔する言葉のうちにいかに容易に他に対してかえって自己を誇示する心が忍び込み、またいかに容易に罪に対してかえって自己を甘やかす心が潜み入ることであるか。
浄土真宗に帰すれども