Clásicos japoneses con furigana
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ぶんがくにおけるこんにちのにほんてきなるもの
文学における今日の日本的なるもの
宮本 百合子
Lee 文学における今日の日本的なるもの (ぶんがくにおけるこんにちのにほんてきなるもの) de 宮本 百合子 (みやもとゆりこ) en japonés con furigana. JLPT N2. Toca una palabra para ver el significado.
N2 · avanzado · kanji y kana modernos · 9792 caracteres · 20 pantallas
文学の仕事、文学者の任務が、大衆の指導にあるという自覚と、そのことで大衆より経済的にも優位におかるべき筈であるという、芸術至上的な自己評価の習慣は、ブルジョア文学が実際は大衆の生活感情とのつながりを失っても猶作家の心に残像としてのこっていることがあり得る。読者としての大衆の文化水準の低さのみがこの場合目につけられ、作家そのものの実質を低下させている社会的母胎の質の問題が見落された時、一部の作家自身が云うように「抽象的な情熱」が喚び迎えられることになるのである。
私は、今日万葉、王朝の精神を唱えている一部の作家が、我からそれを「抽象的な情熱」と云っていることを、実に意味ふかく思う。明治、大正のブルジョア文学の潮流においては、仮にそれはどのように孤立的、短期、且つ不成功であったとしても、一度も「抽象的な情熱」という自覚をもって云われたものはなかった。二葉亭の一生にしろ、北村透谷の生涯にしろ、樗牛、漱石、芥川、すべてこれらの人々の情熱は、生活的であり具体的であった。藤村、晶子にしろロマンチシズム時代の空想をさえ生活実体として具体的に感覚し得ただけ生活力と若々しさをもっていた。