Clásicos japoneses con furigana
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ひがしやまじだいにおけるいちしんしんのせいかつ
東山時代における一縉紳の生活
原 勝郎
Lee 東山時代における一縉紳の生活 (ひがしやまじだいにおけるいちしんしんのせいかつ) de 原 勝郎 (はらかつろう) en japonés con furigana. JLPT N2. Toca una palabra para ver el significado.
N2 · avanzado · kanji y kana modernos · 69.142 caracteres · 134 pantallas
当時鞍馬寺境内に公卿の居住すること稀ならず、長直朝臣などもおったらしい。三条西家もいかなる縁故あってかまだ穿鑿をしてはみぬけれども、以前からして鞍馬寺境内に家屋を所持し、もしくは寺の建物を借り入れて住居としておったらしく、実隆の母公の落髪も、やはりその宿所においてしたので、その時には母公の弟親長の妻が、はるばる鞍馬まで出向いた。翌文明三年尼公が執行作善の時には、実隆は叔父親長とともに出向き、親長は二泊して帰洛したとある。このころの実隆は主として母尼公とともに鞍馬の方に住居し、時々京都に下ったものらしく、文明三年の十二月下旬から出京し、己の第と親長の第とに、十余日淹留、正月年頭の儀を了えて鞍馬に帰ったとある。しかるに母尼公は落髪後久しからずして、文明四年十月中旬に歿した。実隆の室勧修寺教秀の女が、三条西家へ輿入れして来た年月をば探し当てかねたが、長子公順の生れたのは、文明十六年すなわち実隆が三十歳の時で、その後三年にして次男公条が生れた。子としてはこのほかに女子一人あったが、これは二人の男子の姉であって、後に九条尚経に嫁し、植通の母となった従三位保子である。