Lectura en japonés

Clásicos japoneses con furigana

ja-reading.com

Lee clásicos japoneses en línea con furigana. Filtra por nivel JLPT, toca una palabra para ver el significado y traduce una frase.

こうせんぜんじのことども

禅堂生活

鈴木 大拙

Lee 禅堂生活 (こうせんぜんじのことども) de 鈴木 大拙 (すずきだいせつ) en japonés con furigana. JLPT N2. Toca una palabra para ver el significado.

N2 · avanzado · kanji y kana modernos · 27.634 caracteres · 57 pantallas

Aozora Bunko

楞迦窟老大師の一年忌に当りて

月日のたつのは誠に早い、楞伽窟の遷化せられてから、もう一年を経過した。昨日今日のように思うて居たが、この分で進めば三年も七年も間もなく過ぎることであろう。そうして他人と自分と皆悉く「永遠」と云うものの裡に吸い込まれて行く。人生も意義があるような、ないような、妙なものである。「永遠」を「刹那」に見て行けば、刹那刹那に無限の義理があるとも云えるが。それでも刹那は水の泡のように次から次へと消えて仕舞う。はかなき点から見れば「永遠」とても亦はかないではないか。何れが是なのか、何れも是なのか、また何れも非であるか、所謂る白雲の「未在」か。併しいくらこんなことを曰うても、俗人には何もわからぬ、只悲しいときには悲しい、おかしいときにはおかしい。「畢竟如何」などと六箇敷いことは云わぬがよい。楞伽窟が亡くなられてから一年をすぎたと云うのは事実である。そうして予は今この事実を思うて居るのである。

先頃九月末日の大雨に東慶寺の青松軒は大損害をうけた。老師が書斎の前栽も崖から崩れた土砂でめちゃめちゃになった。併し幸にお墓の処には何等の影響もない。阿弥陀の古銅仏は端然として楞伽窟の遺骸を護って居られるように見える、岩穴から流れ出る水も滾滾と尽きぬ、手水鉢は充ちて居る。