Lectura en japonés

Clásicos japoneses con furigana

ja-reading.com

Lee clásicos japoneses en línea con furigana. Filtra por nivel JLPT, toca una palabra para ver el significado y traduce una frase.

どうとくのかんねん

道徳の観念

戸坂 潤

Lee 道徳の観念 (どうとくのかんねん) de 戸坂 潤 (とさかじゅん) en japonés con furigana. JLPT N2. Toca una palabra para ver el significado.

N2 · avanzado · kanji y kana modernos · 71.388 caracteres · 140 pantallas

Aozora Bunko

ここでは善は見られるもの(イデア)として観照の世界にぞくする。善が人間の実践行動に直接関係しているのは勿論だが、今の場合その実践なるものそのものが観照の対象でしかない。善は意志の目的物ではなくて寧ろ哲学的直観の対象である。善は一つのイデアとして、主観的なものではなくて寧ろ客観的なものだが、それだけに一向主体的なものにならぬ。ここにこの道徳観念の形式主義(形相主義から来る)と普遍主義と非歴史主義との一切が結果する(このイデア論はアリストテレスが克服しようとした処であるが、今の問題はイデアによって代表されるギリシア思想自身にあるのだ)。当時の実際的な道徳観念は、云うまでもなく奴隷所有者の支配的自由民のものだが、夫がプラトンやアリストテレスの社会理論の内に根深く食い込んでいるにも拘らず、善のイデアは特にプラトンに於てのように、そうしたものから全く超然としているのだ。

だがこのイデア論的倫理説は、一種貴族的な観念論(之は当時政治的には反動を意味した)に立脚したにも拘らず、それであるが故に却って今日の倫理学に較べて、すぐれた幾つかの点を有っている。この道徳理論は当時の(今日でもそうだが)常識にも拘らず、道徳をば専ら道徳律を中心として考えるのでなく、又徳目さえがそこでの最後の問題ではなかった。