Clásicos japoneses con furigana
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ぺんくらぶとげいじゅついん
ペンクラブと芸術院
正宗 白鳥
Lee ペンクラブと芸術院 (ぺんくらぶとげいじゅついん) de 正宗 白鳥 (まさむねはくちょう) en japonés con furigana. JLPT N2. Toca una palabra para ver el significado.
N2 · avanzado · kanji y kana modernos · 4444 caracteres · 9 pantallas
若い時分から衣食費の欠乏を気遣って、極力貯蓄を志していた。生活がいじける訳である。放射能の毒は百年たたると云うような取越し苦労を止めて、今日は今日をのんびり楽んでいればいいと志しながら、それを実現し得なかった。それで、山上の教訓のなかの、「野の百合を見よ」なんかを、すがすがしい安心の声として聞いていたのである。
それから、第二の色紙には、東洋の聖人孔夫子の訓戒語「晨に道を聞く、夕べに死すとも可なり」を書いた。この聖語は、キリストのよりは堅苦しくて、道とは何ぞやと訊返したくなるようなものだが、その道は突留めたいような気がするのである。
それから、第三の色紙には、「花さうび、花のいのちはいく時ぞ、時過ぎて尋ぬれば、花はなく、あるはたゞいばらのみ」と、ギリシアの古詩を書いた。二千年の昔の西洋人も、同じような事、有触れた感歎語を唄っていたのである。私は少年時代に愛読した漢詩をこの頃復読しているのだが、このギリシア詩と同じような感じが頻繁に唄われている。詩人の見る人生もそれっきりかと思われないこともない。つまり人間それっきりで、すべて唄いつくされ描きつくされていて、新しい詩も新しい唄もないのかも知れない。