Clásicos japoneses con furigana
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ちゅうせいのぶんがくでんとう
中世の文学伝統
風巻 景次郎
Lee 中世の文学伝統 (ちゅうせいのぶんがくでんとう) de 風巻 景次郎 (かざまきけいじろう) en japonés con furigana. JLPT N2. Toca una palabra para ver el significado.
N2 · avanzado · kanji y kana modernos · 115.977 caracteres · 230 pantallas
伏見天皇御即位の後、本来これが第一皇子の御血筋なので、持明院統の臣下たちは、永久に皇位を確保しようとして、種々画策するところがあった。そこで、両統互角の勢となり、幕府も両統迭立という議を建てるに至った。
ところが後醍醐天皇の皇太子にはおなじく大覚寺統の後二条院の皇子邦良親王が立たれたので、後伏見院は憤怒された。邦良早世ましましたので、後醍醐天皇は御自身の皇子を皇太子にと思召されたが、幕府は両統迭立の議によって、後伏見の皇子量仁親王(光厳院)を皇太子に立て奉った。そこで後醍醐天皇は幕府の干渉を憤怒された。天皇の幕府追討の御決心の直接原因はこれであったといわれる。そしてこれが吉野時代の両朝対立にまでひびくのである。北朝は第一皇子の御血筋ではあったが、三種神器は吉野朝廷におわしたので、これが正統であることは勿論のことで、後小松天皇のとき、両朝一に帰したことはまことに慶賀にたえないところであった。
思えば実朝は将軍の身ながら、後鳥羽院に君臣の衷情を寄せ奉ったが、北条氏は飾りの将軍をあやつりつつ、幕府の一執権職としてこれ程のことをしているのであった。これは九条・西園寺の親幕政策がことをここに至らせたというよりは、中世封建の勢力が、そこまで伸びていたのだと見るべきであろう。