Clásicos japoneses con furigana
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ちゅうせいのぶんがくでんとう
中世の文学伝統
風巻 景次郎
Lee 中世の文学伝統 (ちゅうせいのぶんがくでんとう) de 風巻 景次郎 (かざまきけいじろう) en japonés con furigana. JLPT N2. Toca una palabra para ver el significado.
N2 · avanzado · kanji y kana modernos · 115.977 caracteres · 230 pantallas
宗祇はちょうど常縁より二十歳年下で、応永二十八年に生れた。生地についても素性についても諸説があって明瞭を欠くのは、その出身があるいは庶民の間にあったからかも知れない。はじめ歌は飛鳥井家につき、後東常縁についた。連歌の方は正徹にまなんだ心敬の門人である。岩倉に庵を作って自然斎といい、後東山に庵を移して種玉庵といった。応仁乱がはじまると関東に逃れ、文明元年心敬の供をして川越の太田道灌のもとに招かれた。それから美濃の郡上城に赴いて常縁から古今の伝授を受けたのである。
その後文明九年には長尾景春に招かれ、文明十二年には大内正弘に招かれて、周防山口に下り、さらに筑紫に旅をした。その間に心敬・一条兼良・太田道灌ら相ついで世を去り、宗祇は連歌界の第一人者となって、長享二年(六十八歳)花の本の宗匠を允許され、北野神社連歌会所の奉行となった。その後連歌集の編纂を発心し、常縁の世を去った翌明応四年に『新撰菟玖波集』を撰んで勅撰に准ぜられた。明応八年にはまた上杉氏に招かれて越後に行き滞留二年、文亀二年に門弟宗長を伴って関東へ出、川越に行き、箱根湯本に到って旅に死んだ。