Lectura en japonés

Clásicos japoneses con furigana

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ちゅうせいのぶんがくでんとう

中世の文学伝統

風巻 景次郎

Lee 中世の文学伝統 (ちゅうせいのぶんがくでんとう) de 風巻 景次郎 (かざまきけいじろう) en japonés con furigana. JLPT N2. Toca una palabra para ver el significado.

N2 · avanzado · kanji y kana modernos · 115.977 caracteres · 230 pantallas

Aozora Bunko

保延六年二十七歳で述懐百首を作った。

康治年間崇徳院から百首の題を賜わり、時の歌人が百首歌を詠んで奉った。成ったのは一つとんで次の久安年間で、初度のは残っていない。二度目のは久安六年の御百首で、院のほか作者は十四人である。顕広三十七歳で、その百首は殊に傑作である。『千載集』以後の勅撰集に六十五首とられている。この間『詞花集』は天養元年、三十一歳のとき、六条顕輔によって奏覧され、顕広の歌も一首とられている。

久安六年正月六日正五位下、翌仁平元年正月六日従四位下。仁平三年四十歳、院の仰せにより『久安六年百首』を部類分けして奉った。仁安二年、清盛太政大臣となった年、俊成と改名、五十四歳。安元二年出家、法名釈阿。六十三歳。

当時歌人としては、六条家がすぐれていて、『詞花集』を撰んだ六条顕輔、その子清輔、またその弟顕昭法橋らが殊に大家であった。彼らは俊頼・基俊の世を去った後は事実上一代の棟梁であった。やがてしかし、顕輔は久寿二年に六十六歳で世を去り、子の清輔も父が『詞花集』を撰んだので、自分も『続詞花和歌集』を撰んだほどの人だが、勅撰の仰せを蒙ることなくて、治承元年に七十四歳で世を去った。