Lectura en japonés

Clásicos japoneses con furigana

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ちゅうせいのぶんがくでんとう

中世の文学伝統

風巻 景次郎

Lee 中世の文学伝統 (ちゅうせいのぶんがくでんとう) de 風巻 景次郎 (かざまきけいじろう) en japonés con furigana. JLPT N2. Toca una palabra para ver el significado.

N2 · avanzado · kanji y kana modernos · 115.977 caracteres · 230 pantallas

Aozora Bunko

治承二年俊成六十五歳のとき、仁和寺宮守覚法親王の仰せによって自撰したもので今普通に流布している六家集本というのは、後の人が、献上以後の歌を書きたしたものである。もちろんこのほかにもまだ俊成の歌は散在している。

そのほか、建久八年八十四歳のとき、式子内親王の仰せによって、歌について論じ、『万葉』から『千載』までの秀歌を抜いて註解した『古来風体抄』を作っている。俊成の歌についての考えを見るに大切な著書である。そのほか『六百番歌合』判詞の如きは、顕昭のひどい反撃をうけたもので、その方は『顕昭陳状』という名でのこっており、両者あわせて見ると歌に対する批評意識をよく見ることが出来て、なかなか大切な文献である。

とにかく俊成は清輔の死によって、九条家に拾い上げられてからは、歌界の重鎮となって、実にめざましい活躍ぶりを示したが、年からいえばすでに六十歳を過ぎて世捨て人となった後のことではあり、世界からいえば全く和歌の雅会に関する範囲だけでのことであって、いわば芸の上での面目だから、随分権門に対しては追従もしなければならなかったし、また歌界だけで見れば、六条家の末輩は九条家の政敵であった土御門家の家司になって対抗して来たりしたから、狭いなりに歌界にも歌界なみの政争はあって、老後の俊成には、西行や歌林苑の俊恵と心を通わし