Clásicos japoneses con furigana
ja-reading.com
Lee clásicos japoneses en línea con furigana. Filtra por nivel JLPT, toca una palabra para ver el significado y traduce una frase.
しそうとしてのぶんがく
思想としての文学
戸坂 潤
Lee 思想としての文学 (しそうとしてのぶんがく) de 戸坂 潤 (とさかじゅん) en japonés con furigana. JLPT N2. Toca una palabra para ver el significado.
N2 · avanzado · kanji y kana modernos · 209.809 caracteres · 408 pantallas
横光利一は現在の通俗文学の有っている二つの要素を挙げて、感傷性への訴えと偶然性の利用とを指摘している。そしてこの感傷性を退けてこの偶然性を採用することが彼の所謂純粋小説(今後生き永えるべき純粋にして通俗な文学)の方法だというのである。尤も文学の通俗性をこんな風にだけ分析するのでは、大切な方向が見落されはしないかを吾々は憂えるのであって、例えば既成観念の批判とか日常道徳に対するプロテストとかいう、文学に於けるモーラリティーに基いて通俗性を分析すべき方向からは大分縁遠くなるだろうと思うが(青野季吉は、思想・論理・主張・叫び・感激・の欠乏を文学の通俗性の要素として数えている)、併し偶然性に着眼したのは決して、ただの思いつきとして片づけることは出来ぬ。
彼は仲々卓抜な言葉を吐いている、「いったい純粋小説に於ける遇然(一時性もしくは特種性)というものは、その小説の構造の大部分であるところの、日常性(必然性もしくは普遍性)の集中から、当然起って来るある特種な運動の奇形部であるか、あるいは、その遇然の起る可能が、その遇然の起ったがために、一層それまでの日常性を強度にするかどちらかである。